お久しぶりです。長い留守ですみません!
しれっと通常営業です。(開店休業中的な意味で)
ツイッターにも垂れ流していたのですが、銀英伝7巻を読んでいて思ったことをまとめたくて久々にメモ更新と相成りました。
原作7巻は軍人のロマンチシズムが至る所に散りばめられていて、後世の歴史家(じゃなくて前世の歴史家になるのか)的な第三者視点から読んだ時、それ以外の選択ってできなかったの?と各方面に対して思うことが多々ありすぎて(勝手に)困る。
皇帝ラインハルト様、レンネン暴走→ヤン逃走に端を発する同盟争乱の鎮圧に乗り出すのは良いのですが、マルアデッタで旧同盟軍結集の状況に対して打つ手が正面から撃破一択、しかも要約すると『予は戦いたい』であること+麾下諸将が揃いも揃って撃破(戦闘突入)に賛同しているのが、こいつら軍人政権すぎてやばい、と思うわけです。
状況を鑑みれば、暴力的叛乱勢力を一網打尽にできる訳ですから、ゲリラ戦やられるより万倍まし、反抗勢力をいっきに叩く千載一遇のチャンス!ともいえるので、正面撃破は鼻面折るパフォーマンスとして良いかもしれません。
しかし、皇帝ラインハルト様は銀河を統べる皇帝様になった訳で、戦争以外の余地を見出して欲しかった。
旧同盟領は長きに亘って帝国とは分離していた存在とはいえ、銀河帝国はあくまで彼らを叛徒どもと呼んでいた。つまり元をただせば同じ帝国の臣民。
でっかい器で、同盟に殉じるよりその志を生きて帝国に根ざす活動してみたら?許すし、みたいな勅令だしてたら、マルアデッタに終結した旧同盟軍人の一部は心が動いたと思うんです。
それ以前に、マルアデッタの状況にならないよう、旧同盟領で政治パフォーマンスをしても良かった。
ビュコック達があのような選択をしたのは、彼らなりの美学(後述しますが、個人的にはくそったれ美学です)があってのことでしたが、そこに至る原因を作った一端は、統治者となったラインハルトおよび銀河帝国の政治屋さんたちにもあったのだと思います。
いったい、銀河帝国は自由惑星同盟領をどのように統治するつもりだったか?
旧同盟領をどのように遇するか、というのは同盟の人々にとっては切実な問題であったにも関わらず、不安を残す占領統治しかできなかった、というのが銀河帝国側の落ち度、そのことに心を痛める銀河帝国サイドの人間のひとりやふたり居てもいいじゃないか、いやむしろラインハルト様、そこを思って下さいよ!と私はこんな長文書く程度には遺憾に思っている次第です。
次に、上述にあったビュコック元帥ら旧同盟軍人たちの一斉蜂起。集団自決に等しいマルアデッタ会戦。
自由惑星同盟という政体が、彼らにとって命より重い価値があったのだと主張する行動と思うのですが、軍人として美しい行為とは思いますが、いやいやそれによって旧同盟領が得る果実があったのか?というと、ない、訳です。
ラインハルト様はマルアデッタと後のハイネセン祭(粛清的な意味で)で、反抗勢力を完膚無きまでにぶちのめしております。
同盟領の人々の心に残ったのは、同盟のために散った同胞の姿に自分も奮起する!という気持ちではなくて、恐らく帝国に楯突いても良いことなにもないな…という諦めだったのではないか、と思うのです。
ビュコック元帥らの行動は、祖国を守る、殉ずる美しさに充ち満ちていますが、政治的な観点から見たときの評価には、とても疑問を持ってしまいます。
(こんなこと言ってたら英雄伝説ではなくなってしまうのですがね!)
さて、最後に真打ちヤン。
原作7巻は、ヤンがイゼルローン要塞を奪取し、ラインハルトがマル・アデッタ会戦にてビュコックと対決する場面が描かれています。
ヤンがイゼルローンを陥落させたのは、同盟から追い出されて(というか逃げ出して)、政治的・軍事的根拠地を求めた結果でした。軍事活動を行うにも資金が必要となるが、これまでのスポンサーであった同盟政府はほぼ空中分解寸前ですし、ヤン艦隊は自らが”革命軍”的な立場となり、それを宣伝することによって、古い言い方をすれば”同志”という名の資金提供者、政治的バックを得ようとした訳です。
ヤン・ウェンリーは、なぜヤン艦隊として独立することを選んだのか。
同盟は死に体だし、殺されかけたし、仕方ないから自分達の独自勢力作った方がいいよね!という状況の帰結であるといえばそれまでです。
結局、ヤンは軍人であり、軍事的名声によって政治権力を持つに至ったので、軍事的成功を得なければ資金も勢力も地盤も確保できなかった、というのがヤンの答だったと思うのです。
そしてその答は、ヤンの自己の信念を守る一方で、戦争による犠牲を伴うことを意味しているのではないか、つまり、ヤンもラインハルトと同じように、自己の存在価値を戦争という行為によって生み出していた=自分のために戦争した、としか思えない面があるんじゃないか?と感じてしまうのです。
この矛盾は、ヤン・イレギュラーズとして集ったキャゼルヌ・アッテンボローらにも共通するものです。
この辺を詳しく書くと寝る時間がなくなるので、次回!(たぶん続く)
本日のオチは、みんな戦争以外の選択をしようよ! 影響力あるんだから周り巻き込むこと(戦争)せず政治解決しよう!と私は7巻読んで思いました、という点のみです。それだけです、はい。
更新ないにも関わらず、拍手やメッセージ下さる皆様にいつもお力頂いております。
ありがとうございます!
今年は更新を有言実行できるよう頑張ります…。
しれっと通常営業です。(開店休業中的な意味で)
ツイッターにも垂れ流していたのですが、銀英伝7巻を読んでいて思ったことをまとめたくて久々にメモ更新と相成りました。
原作7巻は軍人のロマンチシズムが至る所に散りばめられていて、後世の歴史家(じゃなくて前世の歴史家になるのか)的な第三者視点から読んだ時、それ以外の選択ってできなかったの?と各方面に対して思うことが多々ありすぎて(勝手に)困る。
皇帝ラインハルト様、レンネン暴走→ヤン逃走に端を発する同盟争乱の鎮圧に乗り出すのは良いのですが、マルアデッタで旧同盟軍結集の状況に対して打つ手が正面から撃破一択、しかも要約すると『予は戦いたい』であること+麾下諸将が揃いも揃って撃破(戦闘突入)に賛同しているのが、こいつら軍人政権すぎてやばい、と思うわけです。
状況を鑑みれば、暴力的叛乱勢力を一網打尽にできる訳ですから、ゲリラ戦やられるより万倍まし、反抗勢力をいっきに叩く千載一遇のチャンス!ともいえるので、正面撃破は鼻面折るパフォーマンスとして良いかもしれません。
しかし、皇帝ラインハルト様は銀河を統べる皇帝様になった訳で、戦争以外の余地を見出して欲しかった。
旧同盟領は長きに亘って帝国とは分離していた存在とはいえ、銀河帝国はあくまで彼らを叛徒どもと呼んでいた。つまり元をただせば同じ帝国の臣民。
でっかい器で、同盟に殉じるよりその志を生きて帝国に根ざす活動してみたら?許すし、みたいな勅令だしてたら、マルアデッタに終結した旧同盟軍人の一部は心が動いたと思うんです。
それ以前に、マルアデッタの状況にならないよう、旧同盟領で政治パフォーマンスをしても良かった。
ビュコック達があのような選択をしたのは、彼らなりの美学(後述しますが、個人的にはくそったれ美学です)があってのことでしたが、そこに至る原因を作った一端は、統治者となったラインハルトおよび銀河帝国の政治屋さんたちにもあったのだと思います。
いったい、銀河帝国は自由惑星同盟領をどのように統治するつもりだったか?
旧同盟領をどのように遇するか、というのは同盟の人々にとっては切実な問題であったにも関わらず、不安を残す占領統治しかできなかった、というのが銀河帝国側の落ち度、そのことに心を痛める銀河帝国サイドの人間のひとりやふたり居てもいいじゃないか、いやむしろラインハルト様、そこを思って下さいよ!と私はこんな長文書く程度には遺憾に思っている次第です。
次に、上述にあったビュコック元帥ら旧同盟軍人たちの一斉蜂起。集団自決に等しいマルアデッタ会戦。
自由惑星同盟という政体が、彼らにとって命より重い価値があったのだと主張する行動と思うのですが、軍人として美しい行為とは思いますが、いやいやそれによって旧同盟領が得る果実があったのか?というと、ない、訳です。
ラインハルト様はマルアデッタと後のハイネセン祭(粛清的な意味で)で、反抗勢力を完膚無きまでにぶちのめしております。
同盟領の人々の心に残ったのは、同盟のために散った同胞の姿に自分も奮起する!という気持ちではなくて、恐らく帝国に楯突いても良いことなにもないな…という諦めだったのではないか、と思うのです。
ビュコック元帥らの行動は、祖国を守る、殉ずる美しさに充ち満ちていますが、政治的な観点から見たときの評価には、とても疑問を持ってしまいます。
(こんなこと言ってたら英雄伝説ではなくなってしまうのですがね!)
さて、最後に真打ちヤン。
原作7巻は、ヤンがイゼルローン要塞を奪取し、ラインハルトがマル・アデッタ会戦にてビュコックと対決する場面が描かれています。
ヤンがイゼルローンを陥落させたのは、同盟から追い出されて(というか逃げ出して)、政治的・軍事的根拠地を求めた結果でした。軍事活動を行うにも資金が必要となるが、これまでのスポンサーであった同盟政府はほぼ空中分解寸前ですし、ヤン艦隊は自らが”革命軍”的な立場となり、それを宣伝することによって、古い言い方をすれば”同志”という名の資金提供者、政治的バックを得ようとした訳です。
ヤン・ウェンリーは、なぜヤン艦隊として独立することを選んだのか。
同盟は死に体だし、殺されかけたし、仕方ないから自分達の独自勢力作った方がいいよね!という状況の帰結であるといえばそれまでです。
結局、ヤンは軍人であり、軍事的名声によって政治権力を持つに至ったので、軍事的成功を得なければ資金も勢力も地盤も確保できなかった、というのがヤンの答だったと思うのです。
そしてその答は、ヤンの自己の信念を守る一方で、戦争による犠牲を伴うことを意味しているのではないか、つまり、ヤンもラインハルトと同じように、自己の存在価値を戦争という行為によって生み出していた=自分のために戦争した、としか思えない面があるんじゃないか?と感じてしまうのです。
この矛盾は、ヤン・イレギュラーズとして集ったキャゼルヌ・アッテンボローらにも共通するものです。
この辺を詳しく書くと寝る時間がなくなるので、次回!(たぶん続く)
本日のオチは、みんな戦争以外の選択をしようよ! 影響力あるんだから周り巻き込むこと(戦争)せず政治解決しよう!と私は7巻読んで思いました、という点のみです。それだけです、はい。
更新ないにも関わらず、拍手やメッセージ下さる皆様にいつもお力頂いております。
ありがとうございます!
今年は更新を有言実行できるよう頑張ります…。
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